「死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う」森達也を読んで
死刑制度について考えさせられた。読む前は危険因子の削除や見せしめによる犯罪抑止として漠然と死刑の必要性を感じていたがより深い議論・考察の必要性を感じた。国民の大多数が死刑賛成論者であると言われていながら、関心を示していない現在にぜひ読まれるべき本。
書き方は取材を時系列に載せたルポタージュ。筆者は当初死刑廃止論者であった。これだけだと、マイケルムーアの「ボーリングフォーコロンバイン」よろしく、取材で会った賛成論者を次々論破していくのかと思った。が、取材を続けるに従ってその考え方にぶれが生じてくる様が克明に描かれている。
上述の通り、私は死刑賛成論者であった。しかし、本書に書かれている死刑導入による犯罪抑止効果が期待できない点や冤罪の点、そして国が人を殺すことに対する理不尽さ等を読み、理性的に考えるとその正当性、必然性を見出すことは出来ないと考えるようになった。また、死刑希望殺人(ex:池田小学校事件)のようなことも起こりえる。
では、死刑はなくすべきか。本書にも書かれているが結論を出すことは一概には出来ない。その最たる理由は被害者家族の感情だろう。ただの報復感情だと言われればそれまでかも知れない。しかし、被害者になったことのない私たちに彼らの心の内を理解することが果たして出来るだろうか。償いでは癒やされないのだ。被害者が戻って来る事がベストでありそれ以上でも以下でもないのだ。許すことの難しさを再認した。
他に書かれていて気になった点を、以下記録。
死刑は何故「死刑」なのか。「殺刑」が正確なんじゃないか。
死刑宣告後に更正する人々の話が出ていたが、もし死刑ではなく彼らに終身刑が言い渡されていた場合、彼らの更正は起こりえただろうか。死と向き合う中で、生まれたのではないのか。きっとこの議論は形だけでも死刑を残す議論に繋がるのだろう。