「ウェブ時代をゆく」梅田望夫を読んで

行動する勇気の必要性が書かれており、失敗の不安から尻込みをした。しかし、本ブログ執筆から得た知の「高速道路」体験がその不安をも払拭する可能性を持つと感じた*1

ウェブ時代では主に2つの生き方が存在する。大企業内での生き方とそれ以外。それ以外の生き方ではプロフェッショナルを目指す「高速道路」とゼネラリストを目指す「けものみち」の2種類がある。どの道を目指すにせよ「ウェブは自ら助くる者を助く」。そのためにも、ウェブに対し能動的に行動することが必要なのだ。

しかし、まだ好きではないものに対して人は能動的に行動可能なのだろうか。知識の不備から非難されるのではないか、との不安を私は感じた。所詮、勇気を起こせるほどの自信を持つ者だけが勝ち残って行くのか、と。ブログを始めることでさえ遅かった私には縁のない話なのでは、と。では恐がりで心配性の人はどう生きて行けばよいのか、との疑問が首をもたげた。

だがアンディー・グローブについて述べた後、こんな一節があった。

彼の座右の銘がこの「Only the Paranoid Survive」という言葉である。Paranoidとは「病的なまでの心配性」という意味。「病的なまでの心配性な人々だけが生き残る」。そのくらいの緊張感で事に処する者だけが、厳しい競争を生き残る(高速道路の先の大渋滞を抜ける)ことができるという意味だ。

ここで言うParanoidとは私のような心配で足がすくむだけのタイプではなく、現実を直視し恐怖を感じながらも、しかし楽しみながら困難を乗り越えて行く人々なのだろうと思った(もしかすると追われる感じを動機とするだけかも知れないが)。いずれにしても、走り続けるだけの「好き」や「心配性」を持ち得ない私にとってこの先、進むことは出来るのだろうかと思った。

結論から言えば、その心配は杞憂であり、ウェブは寛容だった。こちらの心理など関係なく十分な見返りを与えてくれる。そして、それが楽しいのだ。

Scheme初心者であった私は、先日Schemeの導入 - アマグラマーは走り出すと言う記事を書いた。それに対するトラックバックhttp://d.hatena.ne.jp/yorutrain/20080228/1204173606によって同時期に学んでいる人の存在(競争相手というモチベーション)と十分な問題解決法を得ることが出来た。

知の「高速道路」の先には確かに大渋滞が待っているかも知れないし、それより前で事故に遭うかも知れない。しかし、だからといって不安から行動せず高速道路を使わないのは大変にもったいない。自助とはこちらの心理状態に関わらず*2行動のみの事なのだということを理解した。

ブログを始めて知の「高速道路」を知ることで*3、ウェブの凄さを垣間見たことで、今この時にこの本に出会えて良かったと感じ、これからの学び方にヒントを与えてくれた。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

*1:これについては前著「ウェブ進化論」に書かれていたが

*2:当然と言えば当然だが

*3:加速車線くらいしか走ってないけど